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投稿者: CANPAN運営事務局
【週刊読書人】困難な時代を乗り切るために(2008年12月26日号)(2008年12月26日)

- 週刊読書人(2008年12月26日号)
二〇〇八年の思想界をふりかえる
困難な時代を乗り切るために
座談会=岩崎稔・本橋哲也・西山雄二
【週刊読書人】(2008年12月26日号)
貧困が明確な形で問題化
岩崎 年末に行うこの座談会も今年で十一回目になります。本橋さんと私でその年に活きのよい仕事をされた方をお招きして、こういう形で書評をするという作業が、一種の定点観測として続けられてきたわけですが、この11年を振り返ってみると、かなりはっきりとした流れがあると思うのですね。その中でも特に顕著なのは、新自由主義という問題と貧困という問題ではないかと思います。今年は新自由主義的な社会の作り変えがいかに深刻な貧困を作り出しているかが、かなりはっきり見えるようになってきました。典型的なのは『蟹工船』(新潮文庫ほか)ブームです。まさか私も、プロレタリア文学のテキストがこういう形で復活するとは考えてもみませんでした。テキストが新しい地平の中でまったく違う意味を帯びるということのお手本のようなケースですね。
本橋 11年前にはいくつかの点で、私たちが状況について語ろうとしたときに明確には見えなかったものがあったと思います。それが今は語るべき言葉を得ることで私たちにもいろいろなものが明確に見えるようになってきた。例えばネオリベラリズムという言葉。あるいは、それと連動するように登場してきたネオナショナリズム。この二つのキーワードによって、我々が闘うべき標的がかなりはっきりとしてきた。最近では「貧困」や、さらには「プレカリアート」という語彙。新しい言葉が我々の日常語になるということは、それだけで状況を変えうる力を持つ可能性がある。
堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)が出ましたが、日本もこのままだとアメリカと同じような状況に陥るのではないかということで、多くの人に読まれてベストセラーになった。あるいは、松本哉さんの『貧乏人の逆襲!』(筑摩書房)というまさに快著。当事者が、貧乏だけどもこうやって生きているぞという姿を見事に表していて、新しい批評の誕生を感じました。
西山 お二人が言われたように、今年は貧困が明確な形で問題化された年だったと思います。例えば湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)がそうですし、理論的な本では、パオロ・ヴィルノの『ポストフォーディズムの資本主義』(人文書院)、ジグムント・バウマンの『新しい貧困』(青土社)などです。そこで問題になっているのは、貧困というのは公的なセーフティ・ネットからの単なる離脱を意味しない。さらに深刻なのは、セーフティ・ネットから離脱した者が「自分が悪いからだ、自分は何をやっても駄目なんだ」という負のサイクルに陥っているということです。
本橋 今年は、理論的な分析と状況分析をきちんと結びつけた注目すべき本がいくつか出ました。例えば山本三春さんの『フランス ジュネスの反乱』(大月書店)。フランスでなぜ若者たちの反乱が可能になったのかを教えてくれました。そんなグローバルな「反乱」の予兆を理論的に深めた本が、入江公康さんの『眠られぬ労働者たち』(青土社)。理論書とはいえ時々脱力させるような、芸術的というか文学的というか、今までの研究書にはなかった味わいのある本です。
岩崎 そういうスタンスの先駆者としては田崎英明さんがいますね。
本橋 そうですね。田崎さんの『無能な者たちの共同体』(未來社)という私たちの思考を根底から促す本も今年出ました。杉田俊介さんの『無能力批評』(大月書店)も、自分の立ち位置に忠実な批評書として大きな共感を覚えました。それから白石嘉治さんと大野英士さんが、『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論)をさらにパワーアップした増補版を出された。そういう元気ある抵抗の状況については特筆したいですね。
岩崎 貧困を理論的に語り、そこからどう反転していくかについて元気のある発言をしている人たちにとって、一つの大きな山場になるはずだったのが、アントニオ・ネグリが来日するという計画でした。国際文化会館が準備をしたわけですが、細かいことはおくとしても、結果として法務省、外務省の手によって阻まれた。その時期に、翻訳などが集中的に出ました。『さらば近代民主主義』(作品社)、『未来派左翼(上・下)』(NHKブックス)、『ディオニュソスの労働』(人文書院)、『野生のアノマリー』(作品社)などです。ネグリを受け入れるための試みから、七月のサミットまで、先ほどの入江さんや田崎さんの著作を含めた新しい形の感受性で、世界のいろいろなアクティビストと実際に向き合うという試みが行われて、これには私や本橋さんや西山さんも関わって、G8サミットに対する対抗フォーラムをやりましたね。
西山 サミット関係では今年、栗原康さんの『G8サミット体制とは何か』(以文社)、ATTACフランス編『徹底批判 G8サミット』(作品社)などが出ました。今年は洞爺湖においてG8サミットが開催されたわけですが、そこで明らかになったのは、中国、インド、ブラジルといった政治的、経済的に存在感を増した新興国抜きにはもはや国際的な秩序が確保できないということです。それに加えて、サブプライムローンを端緒とした金融秩序の崩壊が世界的な規模で混乱を引き起こしつつある。さらに、11月の選挙でアメリカ大統領という「世界の顔」が変わりました。サミットの年に起こったことは何かというと、アメリカという「特殊」が先導してきた普遍的な秩序が綻び始めて、グローバル化のタガがはずれ、普遍と特殊の関係をもう一度問い直すべき時期がきたということではないでしょうか。
大学の困難にどう向きあうか
本橋 白石嘉治さんの言葉を使えば、大学というのが「ネオリベラリズムの主戦場」になってきている。大学に関しては、ネオリベラリズムという標的が私たちの言論的武器となる前にすでに、国立大学の独立法人化に対する闘いがくりひろげられてきた。今年はそれが一つの区切りを迎えた時期でもあります。そういう点では、『現代思想』で「学校改革」(四月号)と「大学の困難」(九月号)という特集が行なわれたことはタイムリーでした。西山さんが訳された『条件なき大学』(月曜社)というデリダの画期的な大学論も出ました。
西山 『条件なき大学』がなぜ画期的かというと、「信じる」という視点からの大学論だからです。ネオリベの競争においては、研究・教育は計算可能なものとして数量化され、無際限にその能力を測られる傾向にあります。それに対してデリダは、どのくらいのレベルで大学を信じたらいいのか、大学では真理を信じるという行為がいかなる形で行なわれているのか、という観点から大学を論じています。
本橋 デリダが信じるというとき、それは一種の信仰告白ですよね。徹底的に信じなければいけない。それに加えて、パブリックな言説としての権利が認められことにこそ人文学の基礎があること、この二点が柱ですね。ところがそうした主張に対して、ともするとフランスと日本の状況は違う、人文学の伝統も違う、パブリックという空間自体が日本でどれだけ保証されているのかといったような反応も出てきそうなのですが……。
西山 白石さんたちの『ネオリベ現代生活批判序説』の増補版が出ましたが、増補されたのは何かというと、べーシックインカムと大学の無償化についての文章です。無償化はフランス語でgratuiteですが、この語には「理性的な動機付けがない」という意味もあります。大学の研究・教育については、予算がどこから出るものであれ、ある程度の無償性が確保されるべきです。それは単に誰もがパブリックな形で参加して発言できるというだけでなく、知りたい、学びたい、議論したいという、理由がなくてもとにかくそれを欲望してしまう、そうした学問の本質を誘発する原理だからだと思うんです。無償性のこの二つの意味をどうやって維持していくのかが重要でしょう。
今年は金友子編の『歩きながら問う 研究空間<スユ+ノモ>の実践』(インパクト出版会)という優れたルポルタージュ的な作品も出ました。これも大学の困難に対する一つの実践であり、そこで問われているのは場所をどうやって作るのかだと思います。韓国の<スユ+ノモ>にとっては、あらゆる場所が人文学の研究・教育の場所です。それは例えばキャンドル・デモの行われている路上であったり、米軍基地反対闘争の現場であったりするのですが、そういう場所をどうやって作っていくのか。そういう問いかけでもありました。
つづきは、「週刊読書人」2008年12月26日号をご覧ください。
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困難な時代を乗り切るために
座談会=岩崎稔・本橋哲也・西山雄二
【週刊読書人】(2008年12月26日号)
貧困が明確な形で問題化
岩崎 年末に行うこの座談会も今年で十一回目になります。本橋さんと私でその年に活きのよい仕事をされた方をお招きして、こういう形で書評をするという作業が、一種の定点観測として続けられてきたわけですが、この11年を振り返ってみると、かなりはっきりとした流れがあると思うのですね。その中でも特に顕著なのは、新自由主義という問題と貧困という問題ではないかと思います。今年は新自由主義的な社会の作り変えがいかに深刻な貧困を作り出しているかが、かなりはっきり見えるようになってきました。典型的なのは『蟹工船』(新潮文庫ほか)ブームです。まさか私も、プロレタリア文学のテキストがこういう形で復活するとは考えてもみませんでした。テキストが新しい地平の中でまったく違う意味を帯びるということのお手本のようなケースですね。
本橋 11年前にはいくつかの点で、私たちが状況について語ろうとしたときに明確には見えなかったものがあったと思います。それが今は語るべき言葉を得ることで私たちにもいろいろなものが明確に見えるようになってきた。例えばネオリベラリズムという言葉。あるいは、それと連動するように登場してきたネオナショナリズム。この二つのキーワードによって、我々が闘うべき標的がかなりはっきりとしてきた。最近では「貧困」や、さらには「プレカリアート」という語彙。新しい言葉が我々の日常語になるということは、それだけで状況を変えうる力を持つ可能性がある。
堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)が出ましたが、日本もこのままだとアメリカと同じような状況に陥るのではないかということで、多くの人に読まれてベストセラーになった。あるいは、松本哉さんの『貧乏人の逆襲!』(筑摩書房)というまさに快著。当事者が、貧乏だけどもこうやって生きているぞという姿を見事に表していて、新しい批評の誕生を感じました。
西山 お二人が言われたように、今年は貧困が明確な形で問題化された年だったと思います。例えば湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)がそうですし、理論的な本では、パオロ・ヴィルノの『ポストフォーディズムの資本主義』(人文書院)、ジグムント・バウマンの『新しい貧困』(青土社)などです。そこで問題になっているのは、貧困というのは公的なセーフティ・ネットからの単なる離脱を意味しない。さらに深刻なのは、セーフティ・ネットから離脱した者が「自分が悪いからだ、自分は何をやっても駄目なんだ」という負のサイクルに陥っているということです。
本橋 今年は、理論的な分析と状況分析をきちんと結びつけた注目すべき本がいくつか出ました。例えば山本三春さんの『フランス ジュネスの反乱』(大月書店)。フランスでなぜ若者たちの反乱が可能になったのかを教えてくれました。そんなグローバルな「反乱」の予兆を理論的に深めた本が、入江公康さんの『眠られぬ労働者たち』(青土社)。理論書とはいえ時々脱力させるような、芸術的というか文学的というか、今までの研究書にはなかった味わいのある本です。
岩崎 そういうスタンスの先駆者としては田崎英明さんがいますね。
本橋 そうですね。田崎さんの『無能な者たちの共同体』(未來社)という私たちの思考を根底から促す本も今年出ました。杉田俊介さんの『無能力批評』(大月書店)も、自分の立ち位置に忠実な批評書として大きな共感を覚えました。それから白石嘉治さんと大野英士さんが、『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論)をさらにパワーアップした増補版を出された。そういう元気ある抵抗の状況については特筆したいですね。
岩崎 貧困を理論的に語り、そこからどう反転していくかについて元気のある発言をしている人たちにとって、一つの大きな山場になるはずだったのが、アントニオ・ネグリが来日するという計画でした。国際文化会館が準備をしたわけですが、細かいことはおくとしても、結果として法務省、外務省の手によって阻まれた。その時期に、翻訳などが集中的に出ました。『さらば近代民主主義』(作品社)、『未来派左翼(上・下)』(NHKブックス)、『ディオニュソスの労働』(人文書院)、『野生のアノマリー』(作品社)などです。ネグリを受け入れるための試みから、七月のサミットまで、先ほどの入江さんや田崎さんの著作を含めた新しい形の感受性で、世界のいろいろなアクティビストと実際に向き合うという試みが行われて、これには私や本橋さんや西山さんも関わって、G8サミットに対する対抗フォーラムをやりましたね。
西山 サミット関係では今年、栗原康さんの『G8サミット体制とは何か』(以文社)、ATTACフランス編『徹底批判 G8サミット』(作品社)などが出ました。今年は洞爺湖においてG8サミットが開催されたわけですが、そこで明らかになったのは、中国、インド、ブラジルといった政治的、経済的に存在感を増した新興国抜きにはもはや国際的な秩序が確保できないということです。それに加えて、サブプライムローンを端緒とした金融秩序の崩壊が世界的な規模で混乱を引き起こしつつある。さらに、11月の選挙でアメリカ大統領という「世界の顔」が変わりました。サミットの年に起こったことは何かというと、アメリカという「特殊」が先導してきた普遍的な秩序が綻び始めて、グローバル化のタガがはずれ、普遍と特殊の関係をもう一度問い直すべき時期がきたということではないでしょうか。
大学の困難にどう向きあうか
本橋 白石嘉治さんの言葉を使えば、大学というのが「ネオリベラリズムの主戦場」になってきている。大学に関しては、ネオリベラリズムという標的が私たちの言論的武器となる前にすでに、国立大学の独立法人化に対する闘いがくりひろげられてきた。今年はそれが一つの区切りを迎えた時期でもあります。そういう点では、『現代思想』で「学校改革」(四月号)と「大学の困難」(九月号)という特集が行なわれたことはタイムリーでした。西山さんが訳された『条件なき大学』(月曜社)というデリダの画期的な大学論も出ました。
西山 『条件なき大学』がなぜ画期的かというと、「信じる」という視点からの大学論だからです。ネオリベの競争においては、研究・教育は計算可能なものとして数量化され、無際限にその能力を測られる傾向にあります。それに対してデリダは、どのくらいのレベルで大学を信じたらいいのか、大学では真理を信じるという行為がいかなる形で行なわれているのか、という観点から大学を論じています。
本橋 デリダが信じるというとき、それは一種の信仰告白ですよね。徹底的に信じなければいけない。それに加えて、パブリックな言説としての権利が認められことにこそ人文学の基礎があること、この二点が柱ですね。ところがそうした主張に対して、ともするとフランスと日本の状況は違う、人文学の伝統も違う、パブリックという空間自体が日本でどれだけ保証されているのかといったような反応も出てきそうなのですが……。
西山 白石さんたちの『ネオリベ現代生活批判序説』の増補版が出ましたが、増補されたのは何かというと、べーシックインカムと大学の無償化についての文章です。無償化はフランス語でgratuiteですが、この語には「理性的な動機付けがない」という意味もあります。大学の研究・教育については、予算がどこから出るものであれ、ある程度の無償性が確保されるべきです。それは単に誰もがパブリックな形で参加して発言できるというだけでなく、知りたい、学びたい、議論したいという、理由がなくてもとにかくそれを欲望してしまう、そうした学問の本質を誘発する原理だからだと思うんです。無償性のこの二つの意味をどうやって維持していくのかが重要でしょう。
今年は金友子編の『歩きながら問う 研究空間<スユ+ノモ>の実践』(インパクト出版会)という優れたルポルタージュ的な作品も出ました。これも大学の困難に対する一つの実践であり、そこで問われているのは場所をどうやって作るのかだと思います。韓国の<スユ+ノモ>にとっては、あらゆる場所が人文学の研究・教育の場所です。それは例えばキャンドル・デモの行われている路上であったり、米軍基地反対闘争の現場であったりするのですが、そういう場所をどうやって作っていくのか。そういう問いかけでもありました。
つづきは、「週刊読書人」2008年12月26日号をご覧ください。
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