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【週刊読書人】自我を保つ適度な距離感(2008年7月25日号)(2008年7月25日)

週刊読書人(7月25日号)
週刊読書人(7月25日号)
自我を保つ適度な距離感
物語に流れる静かでおだやかなやさしい時間
東 直子

【週刊読書人】 (2008年7月25日号)

野中 柊著
恋人たち


恋愛感情の機微を繊細に描き続けている作者。『恋人たち』というシンプルなタイトルが与えられた本書は、マチスの画集をきっかけに知り合った二組の恋人たちの物語である。四人それぞれが主体となる短編が、物語の時間をゆっくりと進めていく。四つの心が織りなす、連作短編の形を生かした長編小説といえるだろう。

二組の恋人は、画家の彩夏(あやか)と、一五歳年上の恋人、大貫。中途失明をした舞子と、元同級生の恋人、恭一。彼らは、結婚はしていないが、それぞれ一緒に暮らしている。彩夏は、大貫のマチスの画集に、若き日の大貫が恋人と一緒に写っている写真を偶然発見し、大事に持っていた。ある日、レストランで見かけた舞子の佇まいに魅かれた彩夏は、一緒にいた恭一が持っていたマチスの画集を話のきっかけにして、舞子に自分の描く絵のモデルになって欲しいと申し込むのである。

その後、舞子の絵を描くために、彩夏が、舞子と恭一の家を定期的に訪ねることになる。三人は、最初は緊張していたが、だんだん心を開くようになり、やがて、舞子の恋人の大貫とも知り合い、それぞれの抱えている過去の想いが、明らかになっていく。
謎が開かれていく後半には、静かな興奮を味わえるが、物語全体に流れているのは、燃えるような熱い思いではなく、静かでおだやかな、やさしい時間である。ヒリヒリするような焦燥感や憎しみ、エゴイズムとは無縁の、思いやりに満ちた大人の生活が淡々と描かれていて、読んでいて非常に心地がよかった。いつまでもこの世界の人たちと一緒にいたいと思わせてくれる。そんな小説に出会ったのは、久しぶりだ。

もちろん、ただ心地がよいだけではない。「大人の恋」だと感じさせるのは、四人それぞれが、自分の内に悲しみを抱えながらも、できるだけ自立し、前向きに生きようとする決意があるところが潔くて気持ちがよいのだ。もっとも大きな悲しみは舞子が視力を失ったことと、恭一が関係していることだろう。足に軽い障害を抱えている彩夏が、舞子に魅かれていく部分にも、説得力がある。

物語は、舞子が大貫との関係を一人称で語る場面から始まるのだが、舞子が大貫に対して感じている関係性が興味深い。「なんの約束もなく。期待もなく。束縛もなく」二年も一緒に暮らしている大貫のことを、「彼は兄というには歳が離れ過ぎ、父というには歳が近過ぎる。だからといって、恋人というには、あまりに――あまりに、わたしたちの関係は静かだ」と思っている。

大貫は、他の女性とデートをすることもある。彩夏自身が望んで、それ以上の関係を求めていないのである。舞子の方も、恭一のプロポーズを何度も断っている。女性たちは、男性に必要以上に寄りかからず、男性たちは、必要に応じて、包み込むように女性たちを支えている。

色彩を使うことを生業にする彩夏と光を失った世界を生きる舞子という、対称的な世界を生きる二人が、やわらかく、深く、心を通わせ合う場面には、心を打たれるものがあり、小説の核となっている。そのことも含め、身体や心を所有し合ったり、同一化することだけが重要なのではなく、適度な距離感がそれぞれの自我を大切に保ち合えるのだということを、この四人が伝えてくれる。(ひがし・なおこ氏=歌人、作家)

★のなか・ひいらぎ氏は作家。立教大卒。著書に「ヨモギ・アイス」「ひな菊とペパーミント」「祝福」「このベッドの上」「プリズム」「その向こう側」「マルシェ・アンジュール」など。一九六四(昭和39)年生。


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