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投稿者: CANPAN運営事務局
【週刊読書人】市民運動というおおきな地図を描き続ける人 (2008年5月9日号)(2008年5月9日)

- 週刊読書人(2008年5月9日号)
市民運動というおおきな地図を描き続ける人
小中 陽太郎
【週刊読書人】(2008年5月9日号)
吉川 勇一著
民衆を信ぜず、民衆を信じる
「べ平連」から「市民の意見30」へ
本書のタイトル『民衆を信ぜず、民衆を信じる』は、べ平連存亡の危機によく吉川の口から聞いた。表現はより直裁だった。「民衆一人一人は、アホだが、長い目でみれば正しい」。
その例は、小田が死んだ夜、安倍が大敗した参院選にも見られるだろう。それまでは国民投票法から、教育基本法まで滔々たる憲法改正の流れで、これは勝負あったかと肝を冷やすこと再再だった。しかしふたを開けてみると、年金のせいもあろうが、有権者の多くは戦後の急激な見直しに不安を感じていたことを証明した。吉川が、民衆は正しい、と信じる例は、『民衆のアメリカ史』の著者ハワード・ジンのこんな心情が基になっている。
「勝ち目がまったく見られない状況の中で、自由と正義を求めて勝利したという例は歴史のなかにたくさんあります」
ここまでいえばだれでも気づくようにそのもっとも大きな例がアメリカに勝ったベトナムだった。
しかしだからと言って、何もしないでいいというわけではない。
2005年の自民300議席の衆院選のあとに書かれた一文では「論理的な説得だけで多数派になれるか」と吉川としては意外な視点を導入していた。吉川、「西欧社会の、個人の存在を前提とした市民社会ではない日本の『世間』」の存在を認める。そうであれば、自立した個人を対象とする論理の高さだけでは市民を動かすことはできず「その中にあってその法則に見合ったような多数派形成の工夫をかんがえださなくてはならない」というに至る。賛成である。じつは最近、べ平連後の運動は、ともすれば、かつての経験をないがしろにしがちで、少数派を守ろうとする傾向が強いのではないかと、ぼくはひそかに心配している。さりとて、デモをパレードと呼び変えただけでいいのかとかれもその点は辛口だが。
吉川らしい二枚腰が現われるのは、戦争犠牲者を慰霊する四種の慰問碑を比較検討した『死者は分裂している』である。熱海の「興亜観音」は、中国戦線の指揮官松井石根が、当時寄進したもので、香港のテレビが紹介して、吉川も知る。ここは現在の「靖国」の映画と思いあわされる。アジアの眼をとおして、日本のグロテスクさが浮き彫りになるといおうか。次が、竹内好の書いた太平洋戦争犠牲者の記念碑。それを鶴見俊輔は「戦死者を追慕しても戦争はただしかったということにならない」と意義を認める。しかし吉川はそうはいかない、と反論している。三番目が、群馬にある「おろかもの之碑」。だがそれも戦後の公職追放を反省しているのか、戦争をしたものがおろかというのかはっきりしない、と指摘する。最後が、憲兵だった個人の建てたもので侵略戦争に参加したことを「只管お詫び申し上げます」と痛切である。吉川は、自分の足と目で碑をめぐり、最後にべ平連の先輩の福富節男の言葉を引く。「あらゆる犠牲という言葉でさまざまな死を一括りにしてはならないのだ。そこでうばわれるまえの生の多様さが一括りにできないように」。先に引いた個人を前提としない日本社会に立ちむかう姿勢がここでは鮮明だ。
六〇でガン、四度の手術を乗り越え七七の今も健筆をふるう。最愛のおつれあいが召されたあとも、天国からの年賀状を出し続けて、人々を感動させている吉川の、これは愛の記念碑である。賀状が美しいカラーで収録されている。
思えば43年前の徹夜ティーチインの席上ベトナムの地図を依頼したのが出会いだった。当初看板屋さんとまちがえた吉川は、市民運動というおおきな地図を描き続けていたのである。(こなか・ようたろう氏=作家)
★よしかわ・ゆういち氏は全学連、わだつみ会・べ平連、市民の意見30の会などで反戦運動に参加。べ平連では事務局長を務めた。東京大学中退。一九三一(昭和6)年生。
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小中 陽太郎
【週刊読書人】(2008年5月9日号)
吉川 勇一著
民衆を信ぜず、民衆を信じる
「べ平連」から「市民の意見30」へ
本書のタイトル『民衆を信ぜず、民衆を信じる』は、べ平連存亡の危機によく吉川の口から聞いた。表現はより直裁だった。「民衆一人一人は、アホだが、長い目でみれば正しい」。
その例は、小田が死んだ夜、安倍が大敗した参院選にも見られるだろう。それまでは国民投票法から、教育基本法まで滔々たる憲法改正の流れで、これは勝負あったかと肝を冷やすこと再再だった。しかしふたを開けてみると、年金のせいもあろうが、有権者の多くは戦後の急激な見直しに不安を感じていたことを証明した。吉川が、民衆は正しい、と信じる例は、『民衆のアメリカ史』の著者ハワード・ジンのこんな心情が基になっている。
「勝ち目がまったく見られない状況の中で、自由と正義を求めて勝利したという例は歴史のなかにたくさんあります」
ここまでいえばだれでも気づくようにそのもっとも大きな例がアメリカに勝ったベトナムだった。
しかしだからと言って、何もしないでいいというわけではない。
2005年の自民300議席の衆院選のあとに書かれた一文では「論理的な説得だけで多数派になれるか」と吉川としては意外な視点を導入していた。吉川、「西欧社会の、個人の存在を前提とした市民社会ではない日本の『世間』」の存在を認める。そうであれば、自立した個人を対象とする論理の高さだけでは市民を動かすことはできず「その中にあってその法則に見合ったような多数派形成の工夫をかんがえださなくてはならない」というに至る。賛成である。じつは最近、べ平連後の運動は、ともすれば、かつての経験をないがしろにしがちで、少数派を守ろうとする傾向が強いのではないかと、ぼくはひそかに心配している。さりとて、デモをパレードと呼び変えただけでいいのかとかれもその点は辛口だが。
吉川らしい二枚腰が現われるのは、戦争犠牲者を慰霊する四種の慰問碑を比較検討した『死者は分裂している』である。熱海の「興亜観音」は、中国戦線の指揮官松井石根が、当時寄進したもので、香港のテレビが紹介して、吉川も知る。ここは現在の「靖国」の映画と思いあわされる。アジアの眼をとおして、日本のグロテスクさが浮き彫りになるといおうか。次が、竹内好の書いた太平洋戦争犠牲者の記念碑。それを鶴見俊輔は「戦死者を追慕しても戦争はただしかったということにならない」と意義を認める。しかし吉川はそうはいかない、と反論している。三番目が、群馬にある「おろかもの之碑」。だがそれも戦後の公職追放を反省しているのか、戦争をしたものがおろかというのかはっきりしない、と指摘する。最後が、憲兵だった個人の建てたもので侵略戦争に参加したことを「只管お詫び申し上げます」と痛切である。吉川は、自分の足と目で碑をめぐり、最後にべ平連の先輩の福富節男の言葉を引く。「あらゆる犠牲という言葉でさまざまな死を一括りにしてはならないのだ。そこでうばわれるまえの生の多様さが一括りにできないように」。先に引いた個人を前提としない日本社会に立ちむかう姿勢がここでは鮮明だ。
六〇でガン、四度の手術を乗り越え七七の今も健筆をふるう。最愛のおつれあいが召されたあとも、天国からの年賀状を出し続けて、人々を感動させている吉川の、これは愛の記念碑である。賀状が美しいカラーで収録されている。
思えば43年前の徹夜ティーチインの席上ベトナムの地図を依頼したのが出会いだった。当初看板屋さんとまちがえた吉川は、市民運動というおおきな地図を描き続けていたのである。(こなか・ようたろう氏=作家)
★よしかわ・ゆういち氏は全学連、わだつみ会・べ平連、市民の意見30の会などで反戦運動に参加。べ平連では事務局長を務めた。東京大学中退。一九三一(昭和6)年生。
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