ニュース
【 スポットライト 】
投稿者: CANPAN運営事務局
【ソトコト】 京都の庭は、ひたすらロハスである。 (2006年12月号)(2006年11月20日)

- ソトコト(2006年12月号)

- ◆ファッション大特集◆ロハス・スタイルブック2007
祐真朋樹が、涌井先生に聞きたかったこと。
京都の庭は、ひたすらロハスである。
【ソトコト】(2006年12月号)
京都の庭園はなぜこうも美しいのか?
LOHASと日本庭園、モードのつながりは?
祐真朋樹氏から、自然と素朴な疑問が湧き起こった。
庭園とまちの景観のスペシャリスト、涌井史郎氏がその理由をひもとく。
LOHAS STYLEBOOK 2007
祐真朋樹→涌井史郎
Tomoki Sukezane Shiro Wakui
祐真朋樹氏に僕はお目にかかったことがない。しかし冒頭の「LOHASとモード」についての実に素直で空虚さの無い論説にそれなりの感動を覚えた。モードは世界が安定して平和であるところにこそ生き生きとした輝きがある。だからこそモードにかかわる一人として、LOHAS的生活を大切に思い、そうした生活が導く地球の未来を信じる行動に加わりたいとする述懐には、実に納得がいく。
さて、その祐真氏から、なんといくつかの設問を受けてしまった。
曰く、京都の庭、例えば大徳寺の塔頭(たっちゅう)のあの美しい輝きが、数百年を経ながらも、今日にまで続いているのは何故か。またそうした庭園美が、年齢に関係なく、ひたすら美しいと自然に自分の心に浸透するのは何なんだろう。LOHASと日本庭園に共通する点は何か。
これはまるで不出来な禅宗の修行僧が、突然に通りすがりの凛々しい若者に問答を仕掛けられたのも同然である。そこで久々真剣にその真摯な設問に対し、知恵を絞り答えざるを得ぬと覚悟した次第である。
「不易と流行」という言葉がある。京都の生活はまさにこの言葉がキーワードとなっているように思う。つまり「変わらざるものと、変化してやまぬものとの共存」とでも解釈してもあながち間違いではなさそうだ。例えば「茶道」。千利休の前史を担った村田珠光・武野紹鴎、そして利休以降今日に至るまでおよそ500年に亘り、この伝統文化が継承された秘訣こそ、この不易と流行の考え方が背景にあり、歴代の茶人がそのことを大切にしてきたからにほかならない。利休以降、利休が考案した茶道具のデザインは今日に至るまで寸分変わらぬオリジナルのまま継承再現されており、それを「型(かた)」と呼んでいる。しかし茶道の発展を考えると、いくら利休が偉大ではあっても、変化が許容されなければ面白みを欠き、へたをすると時代の変化に押しつぶされかねない。そこで「型」を不易と考え流派の基礎とし、それに加え時代時代の家元たちのデザイン思想が反映した茶道具が作られてきた。これを「好み」と呼び、モード、あるいは流行の反映として位置付けたのである。
茶道が今日まで隆々と伝統を保持し続けてきたパワーの源泉には、そうしたメインストリームとしての不易のみならず、伝統を守るばかりではなく、時代と呼吸し合った「好み」、つまり流行というサブカルチャーを並存させたところにあった。
翻って京都という町を見てみよう。京都は常に歴史と伝統を町の分母としながら、時にその分子に過激とも思えるほどの革新のベクトルを持とうとする。例えばあの京都駅を考えてみれば十分おわかりであろう。このように京都は不易の部分が実に重厚であるが故、過激で革新的な流行が突出しても、それを許容する。またそれを隠し味にして、かえって鍛えられたしなやかで洗練された伝統をつくり出している。
例えばそれは産業にも投影されている。もしあの清水焼に代表される高硬度の磁器がなければ、セラミック産業が生まれたであろうか。あるいはあの肌触りの良い丹後縮緬があればこそ、女性の下着メーカーが京都から誕生したのではないかなどと楽しい想像が十分にできるのである。伝統とイノベーションの組み合わせによるしたたかな京都の姿である。
そうした京都に在って、大徳寺の塔頭庭園は、ただの庭園ではない。京都が京都として生きていくために、決して変わってはならぬ不易の存在なのだ。
茶の美を語る語彙に「寂び」という言葉がある。この意味を一言で言えば、エイジングである。それは劣化を意味しない。鉄はその表面を錆びさせればこそ、一種のコーティング作用が生まれ、それ以上劣化を引き起こさない。寂びは錆びである。
ここ大徳寺の塔頭の庭園は、ただ、人手と庭師の手業に任せているだけではない。そこそこ自然に、つまり植物等の生長といった時間の流れに委ねてもいるのである。江戸時代に描かれた『名所図会』を見ると、大徳寺のみならず多くの庭園の背景や、庭園内の植栽の有り様が今と違って描かれている。そこに日本人が庭園は自然の一部と考えている姿を見て取ることができる。自然を「自ずから然り」と考え、庭園の姿を時間の変化から孤立させ縛り付けようとしていない。つまり庭園の一部に「流行」を許容しているのである。
では「不易」は――。それは地割り、つまり庭園の平面配置と築山、そして園路、極めつきは日本庭園独自の石組みである。これらは植物がどれほど生長しようと庭園の基本形を守ってくれる。変わらぬ姿と、変わって当然とする姿勢の共存が、日本の庭園美の極意であるといってよい。
人は不変の真理を求めながらも、片や変化を期待する。人の心は常にうつろうからである。その折々の感情移入を受け止めながらも「変わらぬものもあるんだよ」とばかりに、不変の真理を諭してくれる。柔よく剛を制すではないが、迷いつつ何かを求める人々を、京都の庭園はやさしく包みながら、生命や自然の真理、精神の普遍性を教えてもくれる。だから気持ちがいい。つまり日本庭園とは、現代の文明に疲れた我々を、浄化してくれる空間なのではなかろうか。
さてLOHASの本質を考えてみると、僕はそれを「繋がりを思い起こし意識するライフスタイル」と考えている。体内と体外、人と人、人と社会、人と自然、世代と世代、文明と文化、過去と未来。この地上に織り成すあらゆることが、現実には繋がっていながらも、我々はそれをついぞ忘れてしまう。そして孤立感を深めたり、体内の環境と体外の環境のバランス、ホメオスターシス(恒常性)が健康にとってどれほど大切であるかを顧みない。
生物学的に自分を顧みれば、我々が今生きている意味は「命の運び手」でしかない。自分の遺伝子を次の世代に受け継ぐ役割を担っているのに過ぎない。まさに繋ぎ手なのである。しかしそれをつまらぬことと考えてはならない。アフリカの大地に立てばよくそれが理解できる。すべての生き物が、たったそれだけのために、それこそ命懸けで日々闘っている。
改めて繋がりを大切にする。そうしたライフスタイルを意識する。それこそがLOHASの本質なのではなかろうか。祐真朋樹さんが喝破しているように、何もモーガン・スパーロックが示す「自給自足で30days」だけがLOHAS的生活ではない。
わくい・しろう●造園家・桐蔭横浜大学工学部医用工学科特任教授。
1945年生まれ。東京農業大学農学部造園学科中退。数多くの省庁、自治体、法人におけるランドスケープアーキテクト関連の要職を歴任。
2005年「愛・地球博」会場演出総合プロデューサーをつとめる。
また、数々の都市計画事業に参画する一方、その広い視野を持った思想を生かし、テレビのコメンテーターとしても活躍。
ソトコト・・・ロハスピープルのための快適生活マガジン。
●「SOTOKOTO」は、アフリカのバンツ一族の言葉で「木の下」のこと。「木の下には叡智が宿る」という意味を込めて誌名としました。ソトコトは完全リサイクルマガジン。再生紙とエコインクを全面使用し、表紙は環境に優しく再生可能な「TECHNOF」加工です。
【連絡先】
株式会社 木楽舎
〒104-0045 東京都中央区築地7-12-7 築地FTSビル5階
TEL:03-3524-9572
FAX:03-3524-9675
E-Mail:shop@sotokoto.net
URL:http://www.sotokoto.net/
◆◆◆定期購読をご希望の方はこちらから◆◆◆
ソトコトショップ ソトコト定期購読 http://www.sotokoto-shop.net/user/5420689/sotokoto_14
★ソトコトはお近くの書店でも購入できます。
「ソトコトな本屋さん」も募集中!
※この情報はCANPAN運営事務局が代理で登録したものです。
この情報に関するお問合せは、【連絡先】まで直接お願い致します。
京都の庭は、ひたすらロハスである。
【ソトコト】(2006年12月号)
京都の庭園はなぜこうも美しいのか?
LOHASと日本庭園、モードのつながりは?
祐真朋樹氏から、自然と素朴な疑問が湧き起こった。
庭園とまちの景観のスペシャリスト、涌井史郎氏がその理由をひもとく。
LOHAS STYLEBOOK 2007
祐真朋樹→涌井史郎
Tomoki Sukezane Shiro Wakui
祐真朋樹氏に僕はお目にかかったことがない。しかし冒頭の「LOHASとモード」についての実に素直で空虚さの無い論説にそれなりの感動を覚えた。モードは世界が安定して平和であるところにこそ生き生きとした輝きがある。だからこそモードにかかわる一人として、LOHAS的生活を大切に思い、そうした生活が導く地球の未来を信じる行動に加わりたいとする述懐には、実に納得がいく。
さて、その祐真氏から、なんといくつかの設問を受けてしまった。
曰く、京都の庭、例えば大徳寺の塔頭(たっちゅう)のあの美しい輝きが、数百年を経ながらも、今日にまで続いているのは何故か。またそうした庭園美が、年齢に関係なく、ひたすら美しいと自然に自分の心に浸透するのは何なんだろう。LOHASと日本庭園に共通する点は何か。
これはまるで不出来な禅宗の修行僧が、突然に通りすがりの凛々しい若者に問答を仕掛けられたのも同然である。そこで久々真剣にその真摯な設問に対し、知恵を絞り答えざるを得ぬと覚悟した次第である。
「不易と流行」という言葉がある。京都の生活はまさにこの言葉がキーワードとなっているように思う。つまり「変わらざるものと、変化してやまぬものとの共存」とでも解釈してもあながち間違いではなさそうだ。例えば「茶道」。千利休の前史を担った村田珠光・武野紹鴎、そして利休以降今日に至るまでおよそ500年に亘り、この伝統文化が継承された秘訣こそ、この不易と流行の考え方が背景にあり、歴代の茶人がそのことを大切にしてきたからにほかならない。利休以降、利休が考案した茶道具のデザインは今日に至るまで寸分変わらぬオリジナルのまま継承再現されており、それを「型(かた)」と呼んでいる。しかし茶道の発展を考えると、いくら利休が偉大ではあっても、変化が許容されなければ面白みを欠き、へたをすると時代の変化に押しつぶされかねない。そこで「型」を不易と考え流派の基礎とし、それに加え時代時代の家元たちのデザイン思想が反映した茶道具が作られてきた。これを「好み」と呼び、モード、あるいは流行の反映として位置付けたのである。
茶道が今日まで隆々と伝統を保持し続けてきたパワーの源泉には、そうしたメインストリームとしての不易のみならず、伝統を守るばかりではなく、時代と呼吸し合った「好み」、つまり流行というサブカルチャーを並存させたところにあった。
翻って京都という町を見てみよう。京都は常に歴史と伝統を町の分母としながら、時にその分子に過激とも思えるほどの革新のベクトルを持とうとする。例えばあの京都駅を考えてみれば十分おわかりであろう。このように京都は不易の部分が実に重厚であるが故、過激で革新的な流行が突出しても、それを許容する。またそれを隠し味にして、かえって鍛えられたしなやかで洗練された伝統をつくり出している。
例えばそれは産業にも投影されている。もしあの清水焼に代表される高硬度の磁器がなければ、セラミック産業が生まれたであろうか。あるいはあの肌触りの良い丹後縮緬があればこそ、女性の下着メーカーが京都から誕生したのではないかなどと楽しい想像が十分にできるのである。伝統とイノベーションの組み合わせによるしたたかな京都の姿である。
そうした京都に在って、大徳寺の塔頭庭園は、ただの庭園ではない。京都が京都として生きていくために、決して変わってはならぬ不易の存在なのだ。
茶の美を語る語彙に「寂び」という言葉がある。この意味を一言で言えば、エイジングである。それは劣化を意味しない。鉄はその表面を錆びさせればこそ、一種のコーティング作用が生まれ、それ以上劣化を引き起こさない。寂びは錆びである。
ここ大徳寺の塔頭の庭園は、ただ、人手と庭師の手業に任せているだけではない。そこそこ自然に、つまり植物等の生長といった時間の流れに委ねてもいるのである。江戸時代に描かれた『名所図会』を見ると、大徳寺のみならず多くの庭園の背景や、庭園内の植栽の有り様が今と違って描かれている。そこに日本人が庭園は自然の一部と考えている姿を見て取ることができる。自然を「自ずから然り」と考え、庭園の姿を時間の変化から孤立させ縛り付けようとしていない。つまり庭園の一部に「流行」を許容しているのである。
では「不易」は――。それは地割り、つまり庭園の平面配置と築山、そして園路、極めつきは日本庭園独自の石組みである。これらは植物がどれほど生長しようと庭園の基本形を守ってくれる。変わらぬ姿と、変わって当然とする姿勢の共存が、日本の庭園美の極意であるといってよい。
人は不変の真理を求めながらも、片や変化を期待する。人の心は常にうつろうからである。その折々の感情移入を受け止めながらも「変わらぬものもあるんだよ」とばかりに、不変の真理を諭してくれる。柔よく剛を制すではないが、迷いつつ何かを求める人々を、京都の庭園はやさしく包みながら、生命や自然の真理、精神の普遍性を教えてもくれる。だから気持ちがいい。つまり日本庭園とは、現代の文明に疲れた我々を、浄化してくれる空間なのではなかろうか。
さてLOHASの本質を考えてみると、僕はそれを「繋がりを思い起こし意識するライフスタイル」と考えている。体内と体外、人と人、人と社会、人と自然、世代と世代、文明と文化、過去と未来。この地上に織り成すあらゆることが、現実には繋がっていながらも、我々はそれをついぞ忘れてしまう。そして孤立感を深めたり、体内の環境と体外の環境のバランス、ホメオスターシス(恒常性)が健康にとってどれほど大切であるかを顧みない。
生物学的に自分を顧みれば、我々が今生きている意味は「命の運び手」でしかない。自分の遺伝子を次の世代に受け継ぐ役割を担っているのに過ぎない。まさに繋ぎ手なのである。しかしそれをつまらぬことと考えてはならない。アフリカの大地に立てばよくそれが理解できる。すべての生き物が、たったそれだけのために、それこそ命懸けで日々闘っている。
改めて繋がりを大切にする。そうしたライフスタイルを意識する。それこそがLOHASの本質なのではなかろうか。祐真朋樹さんが喝破しているように、何もモーガン・スパーロックが示す「自給自足で30days」だけがLOHAS的生活ではない。
わくい・しろう●造園家・桐蔭横浜大学工学部医用工学科特任教授。
1945年生まれ。東京農業大学農学部造園学科中退。数多くの省庁、自治体、法人におけるランドスケープアーキテクト関連の要職を歴任。
2005年「愛・地球博」会場演出総合プロデューサーをつとめる。
また、数々の都市計画事業に参画する一方、その広い視野を持った思想を生かし、テレビのコメンテーターとしても活躍。
ソトコト・・・ロハスピープルのための快適生活マガジン。
●「SOTOKOTO」は、アフリカのバンツ一族の言葉で「木の下」のこと。「木の下には叡智が宿る」という意味を込めて誌名としました。ソトコトは完全リサイクルマガジン。再生紙とエコインクを全面使用し、表紙は環境に優しく再生可能な「TECHNOF」加工です。
【連絡先】
株式会社 木楽舎
〒104-0045 東京都中央区築地7-12-7 築地FTSビル5階
TEL:03-3524-9572
FAX:03-3524-9675
E-Mail:shop@sotokoto.net
URL:http://www.sotokoto.net/
◆◆◆定期購読をご希望の方はこちらから◆◆◆
ソトコトショップ ソトコト定期購読 http://www.sotokoto-shop.net/user/5420689/sotokoto_14
★ソトコトはお近くの書店でも購入できます。
「ソトコトな本屋さん」も募集中!
※この情報はCANPAN運営事務局が代理で登録したものです。
この情報に関するお問合せは、【連絡先】まで直接お願い致します。









